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「アクツハート成功!」。その鼓動は、人工心臓時代の幕開けを告げた。 阿久津哲造

ヴェルナー・フォルスマン

一九五八年一月、塩化ビニール製の心臓は、まるで生きているかのようにブルッと震えると、規則正しく動き始めた。実験室につめかけたアメリカ人研究者たちの間に、歓喜の拍手が起きた。「世界初の人工心臓、アクツハートが動物実験に成功!」。ニュースは全米に、そして世界に発信された。

彼の名は阿久津哲造。アメリカのクリーブランドに渡って、まだ八ヵ月の心臓外科医。きっかけは研究所での朝のミーティングだ。「将来、心臓病の治療には、人工心臓も選択肢になる」と発言したら、上司が「それを君に任せよう」と言ったのだ。

だが、人工心臓はまだ空想小説の世界にあった。「とにかく、本物の心臓とそっくりなもの」を目標に、彼は職場を研究室から、工作機械が並ぶ作業場に変えた。粘土をこね、石膏を流し込み、油にまみれて金属を削る。昼も夜もなく働き、すべての部品を手作りした。

休日なのに宿舎に戻らない彼を管理人が心配して、「アクツが死んでいるかもしれないから、見てきてくれ」と同僚の研究員に頼んだことさえあった。

実験成功がNASA(米国航空宇宙局)に認められ、腕利きの技術者が派遣されてくると、人工心臓は工学的にも洗練されてきた。そして日本に帰国する直前の一九八一年、ついに彼は人への人工心臓植込みに成功する。アクツハートは、心臓移植手術が行われるまでの五四時間、患者の生命を支え続けた。

阿久津は後にテルモの経営者となってからも、人工心臓の開発を推進し、その臨床応用への道筋をつけた。現在、重症心不全で自分の心臓が動いていない多くの人々が人工心臓で救命され、家族に囲まれて生活し、働いている。阿久津が夢見たのは、こんな時代の実現だったのではないか。

(監修/小柳仁 先生 東京女子医科大学名誉教授)

想像の世界にあった人工心臓を現実のものにした「アクツハート」。

心臓の役割と人工心臓

阿久津哲造(1922-2007)

阿久津哲造
(1922-2007)

わたしたちが生きていくには、血液を循環させて全身の細胞に酸素と栄養を届けなければならない。心臓は血液を全身に送るための臓器で、生命活動を維持する重要な役割を担っている。心臓が病気になり、重症だった場合は手術での治療が必要になる。しかし通常の手術で治せない場合は、心臓全体の交換を考えなければならない。方法としては、心臓移植と人工心臓が考えられるが、その発想は古くまでさかのぼる。

阿久津が製作した初期の人工心臓

阿久津が製作した初期の人工心臓

古代ギリシャの時代からあった人工心臓の考え方

「人工心臓」の概念は古代ギリシャにまでさかのぼる。ギリシャ神話を作ったとされるホメロスは、叙事詩の中で、背中に翼を持つ非情な神「タナトス」に鉄の心臓を与えている。近世にあっても人工心臓は、不死身のヒーローに人並み外れたパワーをもたらす存在として説明されるなど、空想小説の中にあった。

医学の世界で、心臓移植とともに人工心臓が登場するのは、19世紀前半にフランスの生理学者ルガロア(1770-1814)が、「自然由来であれ、人工物であれ、自らの心臓に代わる心臓を得て、血液を送り続けることができれば、体のどの部分でも永遠に生き続けさせることが可能だろう」と記述したのが最初といわれる。そして20世紀に入り、実際に臓器をかん流装置の中で生かし続ける実験に成功したのが、アメリカのチャールズ・リンドバーグと、アレクシス・カレルである。

人工心臓を実現可能な目標にしたアクツハート

1958年の阿久津の動物実験成功は、人工心臓の時代が、遠からず到来することを予感させるものだった。動物実験での生存時間をさらに伸ばし、人体に使えるまでに性能を高めていけば、必ずヒト用の人工心臓は実現されるはずだ。阿久津の成功に刺激され、アメリカを中心に多くの研究者が人工心臓の開発に積極的に取り組むようになった。

物語の世界も、より科学的に変化

このような時代の雰囲気の中で1960年、アメリカの医学者たちにより、生体と自動制御機器を融合させる技術を差す「サイボーグ」の概念が提唱される。その影響を受け、物語の世界でも荒唐無けいな空想の世界を脱して、より科学的な色彩を帯びたサイボーグが活躍するようになる。日本でサイボーグを主人公にした漫画が大ヒットしたのは、このころだ。アクツハートの成功は、文化の面でも大きなインパクトを与えたのだ。

サイボーグ(cyborg)
自動制御の技術(cybernetics)と生命体(organ)を融合させたものを指す。人工心臓のような人工臓器をはじめ、心臓ペースメーカーや筋電信号で動く義手なども、この概念に含まれる。

アクツハートは、なぜ生まれたか。

日本で人工心肺の開発を経験

1951年、まだ日本の大学で外科の医局員をしていたころ、阿久津は教授から人工心肺の研究をするように言い渡された。人工心肺をヒトの手術に使った最初の成功例は1953年、アメリカのギボンによるものであり、この当時はアメリカでも研究途上にあった。阿久津は、このまったく新しいテーマが、実験を中心とした普通の研究とは大きく違うことに気づいた。このテーマは医学者だけで完成できるものではなく、技術者の力を借りて、まず人工心肺という「モノ」を作らなければ進まないのだ。装置を作る材料、メカニズムや電気の知識…どれも医師の力だけでやれるものではない。

エンジニアも職人も偉大だ

まもなくふたりのエンジニアが研究チームに協力してくれることになった。ひとりは戦争中に飛行機を作っていた物理学者で、機械に関する知識と技術力はすばらしかった。もうひとりは大手電機メーカーの技師で、制御駆動装置の設計に大きな役割を果たしてくれた。

阿久津はチームでいちばん若いということもあり、図面を持って町工場へでかけ、職人に説明したり、ときには装置の組み立ても手伝った。そんなとき、旋盤やフライス盤を器用にあつかう職人の見事な仕事ぶりに舌を巻き、「ものづくり」の喜びにふれることもあった。彼にとってはエンジニアも職人も、とてつもない能力をそなえた尊敬すべき人たちだった。

彼らが製作した人工心肺は、見事に動物実験に成功し、大手新聞社から科学奨励金を受けることもできた。順風満帆に見えた研究チーム。しかしその矢先に、頼みの教授が病気で急死する。

上司のひとこと

後任の教授は心臓外科の専門ではなかった。後ろ盾を失った阿久津は、思い切ってアメリカへの留学を決意する。アメリカではすでに人工心肺を使った手術が試みられているという情報も入っていた。願書を出したクリーブランドの研究所から、研究員として受け入れるという返事が来ると、阿久津はすぐにアメリカへと飛び立った。

人工心肺の研究をしていたということで、研究所での配属先は人工臓器部となった。しかし当時の人工臓器といえば人工腎臓が主流であり、その権威として名高いコルフ博士* が部長を務めていた。心臓外科医は、阿久津ひとりだった。

コルフ研究室にきてまもなく、朝のミーティングで阿久津がスピーチをすることになった。彼は「心臓外科の行きつくところ」というテーマで、当時話題になっていたバイパス手術でも救命できない重症の心不全を救うには、「心臓移植か人工心臓を用いて、心臓そのものを取りかえるしかない」と話した。この話題には他の研究員も興味を持ち、「人工臓器部として取り組むのであれば、人工心臓が目標になるのではないか」という方向に話がまとまってきたところで、コルフが結論を出した。「それを心臓外科の君にまかせようと思うがいいね」。これで阿久津の研究テーマは決定されたのだ。

* ウィレム・コルフ(Willem J Kolff, 1911-2009)

オランダからアメリカへわたり、1945年に人工腎臓を用いて初めてヒトの救命に成功した。コルフが製作したのは回転ドラム式人工腎臓で、セロファン製のチューブを円筒に対しコイル状に巻きつけた構造を持っており、これを透析液中で回転させるものであった。コイル型人工腎臓は日本でも多く使われ、「コルフ式」とも呼ばれていた。

ヒトに使える人工心臓をつくるために

壁にぶつかった人工心臓の開発

阿久津は動物実験成功のあと、本格的な人工心臓を開発するための要素について検討を進めた。彼は人工臓器の開発にあたって、考えるべき三つの要素があると述べている。

① 基礎材料
② 使用するエネルギーとその変換様式
③ 制御の方法

まず基礎材料だが、動物実験に成功した人工心臓は塩化ビニール製であった。しかし血液の凝固が避けられなかったため、他の素材を探していたところ、タイヤメーカーから新素材・ポリウレタンの提案があった。これは使いこなすのに苦労したが、塩化ビニールよりは良い感触が得られた。

次にエネルギーの問題だ。最初の人工心臓は空気を送ることで拍動させるタイプだったが、調節が難しいため、小型モーターや電磁石も試してみた。

しかしどのエネルギーを使うにしても、それを制御する方法はなかなか見つからず、開発は壁にぶつかってしまった。

NASAの協力で多くのタイプの人工心臓を作った阿久津

そんな状況の1960年、NASA(米国航空宇宙局)の研究所から、阿久津のプロジェクトへ無償協力の申し出があった。NASAはそのころ、月へ人を送る「アポロ計画」の準備中だったが、人類に役立つことなら何でもするという基本思想を持っていた。日本で人工心肺の開発をした経験からエンジニアの力をよく知っている阿久津は、この申し出を喜んで受け入れた。

そして問題の制御方法については、当時としては画期的なセミ・オートマチックの制御駆動装置が開発され、人工心臓づくりは前に進み始めた。やがていろいろなタイプの人工心臓が相次いで開発され、1962年に動物の生存時間1日の壁を破り27時間という記録をたたき出した。そして基礎材料はシリコンゴム、ポンプは空気駆動、制御はNASAの装置という形に落ち着き、1964年には動物の生存を31時間まで伸ばすことに成功した。

ついにヒトへの植込みに成功

阿久津が製作した初期の人工心臓

アクツ・モデルⅢ型
(Division of Surgery:Texas Heart Institute, 8(3), 305-319,1981より)

阿久津はやがてクリーブランドを離れ、ニューヨークへ、ミシシッピへ、さらにテキサスの研究所へと移った。そして1981年にヒト臨床用の人工心臓「アクツ・モデルⅢ型」を開発する。材料はポリウレタンとシリコンゴムを結合させた新素材、空気駆動で、制御駆動装置は新たに開発した。その年、重症心不全の男性にその人工心臓を植込み、その54時間後の心臓移植にも成功する。心臓移植が終わった後の人工心臓を調べてみると、血液凝固はどこにも発生していなかった。阿久津はこれを最後に、その年のうちに日本へ帰国した。



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