文字サイズ

世の中は、けっして行き詰まらぬ。

北里柴三郎

留学先のドイツで、細菌学者ロベルト・コッホの研究室に
入っていた北里柴三郎は、培養皿を見ながら大きなため息をついた。
培地のどこにも、破傷風の原因と思われる細菌の姿はなかった。
「これも、違うか…」。
当時、伝染病の結核やコレラ、ジフテリアなどは病原菌が特定されていたが、破傷風は病原菌を特定できずにいた。高名な細菌学者が純粋培養に失敗したことで、「破傷風菌は単独では存在できない」という学説が定説となり、多くの研究者たちは破傷風菌の純粋培養をあきらめていたのだ。北里は破傷風菌は必ず特定できると信じていたが、研究は難航していた。彼がやっても試験管には破傷風菌らしき細菌が雑菌とともに増殖するものの、それを培養皿で純粋培養しようとすると、失敗に終わるのだ。
「やはり定説は正しいのだろうか…」。
しかし北里は、わずかな可能性を見逃さなかった。細菌は「芽胞」という耐熱性の高い殻を作って生き延びることがある。彼は破傷風菌と雑菌が混じった試験管培地を加熱してみた。すると雑菌は死滅したが、破傷風菌は芽胞を作り生き続けた。破傷風菌が単独では生きられないという「定説」が今、試験管の中で見事にくつがえされたのだ。だが、それを客観的に証明するには、誰もが再現できる実験方法を確立しなければならない。北里の眼力は、さらに冴えわたる。破傷風菌は試験管の底の方でのみ増殖している。
「そうか!これは酸素を嫌う嫌気性菌なんだ。それなら酸素がない環境で培養すればいい」。
彼は、さっそく嫌気性菌専用の培養装置を作りはじめた。既存の器具を組み合わせながら、培養皿とフタを一体化した円盤状のガラス器具を製作。これを「亀の子シャーレ」と名付けた。その中に培地を入れ、破傷風菌を仕込んで内部に水素ガスを通し、空気を追い出して密封する。それは、無酸素状態での純粋培養を可能にする画期的な装置であった。
一八八九年、北里はついに破傷風菌の純粋培養に成功する。とうとう彼は世界の医学史上に残る偉業を成し遂げたのだ。しかし、そこで立ち止まる北里ではない。このあと北里は、血清を用いた「感染症の治療」という人類未踏の分野に分け入ることになる。

(監修:北里英郎 先生 北里大学医療衛生学部微生物学研究室 教授)

どうしても純粋培養できなかった破傷風菌

病原菌を特定するのに必要な「純粋培養」

ペトリ皿で培養された細菌の集落

ペトリ皿で培養された細菌の集落
ペトリ皿はガラス製だったが、現在はプラスチック製が主流だ。

北里柴三郎

北里柴三郎(1853-1931)
資料提供/学校法人北里研究所

細菌の純粋培養を可能にしたのは、固形培地による細菌培養法を開発したロベルト・コッホだ。それまでの液体培地は流動するため、複数の種類の細菌が常に混じった状態であるのに対し、固形培地を使うと、細菌が種類ごとに集落(コロニー)を作りやすく、純粋培養が容易になる。

当初、固形培地で純粋培養をする場合、培地はガラス板にのせられていたが、コッホの弟子ユリウス・ペトリが考案した、フタ付きのガラス製培養皿が現れると、細菌培養の効率は飛躍的に向上した。フタをかぶせることで、培養中に外から異物が入り込むこともなく、また何枚も重ねたまま培養できるのも大きな特徴であった。この培養皿は発明者の名前をとって「ペトリ皿」と名付けられたが、現在では単に「シャーレ」と呼ばれることも多い。コッホはペトリ皿に入れた寒天培地を使い、結核菌を純粋培養して研究した結果、ノーベル生理学・医学賞を受賞している。

破傷風菌の共生培養説

破傷風菌が純粋培養できないと結論を出したのは、当時コッホと並び称されたドイツ・ゲッチンゲン大学の細菌学・衛生学者カール・フリュッゲだ。彼は数年にわたり破傷風菌の純粋培養を試みたが、すべて失敗に終わり「破傷風菌は他の菌と混在する形でないと増殖できない」とする共生培養説を唱えるに至った。純粋培養こそできなかったが、破傷風患者から共通して検出される細菌は知られていたため、それを破傷風菌として認めようということだ。フリュッゲは細菌学の大家でもあり、これを一応の定説と認める空気はあったが、別の菌が破傷風の原因ではないかという話も、時おり持ち上がることがあった。

コッホ研究所の抄読会で共生培養説が取り上げられたとき、北里はこれに異を唱えた。この研究所では病気と病原菌との関係を客観的に証明する方法として「コッホの4原則」に従い細菌研究をしていた。北里の主張はこうだ。「もし共生培養説により破傷風菌を決められるのなら、純粋培養で微生物を分離できなくても病原菌を特定できることになり、コッホの4原則は誤りだということになる。しかし私はコッホの4原則こそが病原菌を特定する真の定説だと信じるので、共生培養説を認めることはできない」。
これにはだれも反論できず、コッホ所長も「そう考えるなら、そのことを実験で証明したらどうか」と北里に指示した。

コッホの4原則

● ある一定の病気には、一定の微生物が見出されること。
その微生物を分離できること。
● 分離した微生物を、感受性のある動物に感染させて同じ病気を起こさせうること。
● そしてその病巣部から、同じ微生物が分離されること。

熱に強い破傷風菌の芽胞

試験管培地

試験管培地
左から斜面培地、半斜面培地、高層培地。高層培地が最も応用範囲が広いとされている。

北里は、破傷風患者のウミをネズミへ接種して得た材料を用い、ペトリ皿で培養してみた。しかし寒天平板上には雑菌のみが増殖した。

つぎに寒天が固まる前に材料を入れて混合し、試験管高層培地(試験管を垂直に立てて入れた培地)として培養した。すると試験管の口に近い部分には雑菌が、破傷風菌と思われる細菌は試験管の底の方にのみ増殖していた。

破傷風菌が耐熱性の芽胞を作るかもしれないと考えた北里は、その試験管を加熱して寒天を溶かし、再び培養してみた。すると試験管の口に近い部分に増殖していた雑菌は消え、破傷風菌らしき細菌のみが試験管の底の方に増殖していた。熱に弱い雑菌は死滅し、破傷風菌だけが熱に強い芽胞となって生き残った。この段階で「破傷風菌は他の菌と混在する形でないと増殖できない」とするフリュッゲの共生培養説は否定されたのだ。

破傷風菌の純粋培養を可能にした「亀の子シャーレ」

破傷風菌が嫌気性であることを見抜いた「着想の幸運」

志賀潔

志賀潔(1871-1957)
北里のもとで赤痢の研究に取り組み、1897年に赤痢菌を発見。その後、ドイツでエールリッヒの化学療法の有効性を証明する。
資料提供/学校法人北里研究所

穿刺培養

穿刺培養針を用い、
培地の一定の深さに検体を
押し込む培養法

加熱により生き残った細菌を使って、北里はさらにこの菌の性質を確かめる実験にかかり、その過程で破傷風菌が酸素を嫌う「嫌気性菌」だということを確信するに至る。そのときの経緯を北里自身が語ったときの話を、弟子の志賀潔は次のように書き記している。

昭和の初め頃だったと思う---であるが、北里先生に、先生は破傷風菌の純粋培養にどうして成功されたのですか、嫌気性培養というのは、どういうことから考えつかれたのですか、と伺ってみたことがある。すると先生は、極めて無造作に、寒天斜面にも培養したし、また高層寒天にも穿刺培養してみた。すると、高層の上部には何ら発生を見ないで、深部コロニーを形成したので嫌気性ということを考えついたのだ、と説明された。*1

志賀は、これを「着想の幸運」と評している。そして「ただの幸運の思いつきと見えることも、その裏に、鋭い観察と倦むなき研鑚とがあって、はじめてそれを立派な業績に結びつけることが可能であることを知らねばならぬ」と結んでいる。北里は実験に臨んで決して予断をもたず、あらゆる可能性をつぶしていく過程で新たな着想を得るという、根気と体力を要する手法を取るのが常であったが、その研究姿勢が新たな発見に結びついたのだ。

(*1 志賀潔:志賀潔―或る細菌学者の回想, 日本図書センター,1997より)

亀の子シャーレの発想

亀の子シャーレ

亀の子シャーレ

破傷風菌(北里論文付図)

破傷風菌(北里論文付図)
資料提供/学校法人北里研究所

破傷風菌と雑菌が混じった試験管培地を加熱して破傷風菌だけを生かすという方法は、かなり特殊であり、どの研究者にも容易に追試できる実験方法ではない。北里は、通常のペトリ皿を使ったような寒天平板培地で破傷風菌の純粋培養を成功させる必要があると考え、培地容器から酸素を排除できる嫌気性菌培養装置の製作に取り組み始めた。

通常のペトリ皿は、身にフタをかぶせるだけの構造であり、気密性には欠ける。北里はペトリ皿を密閉構造にし、その内部に酸素を含まないガスを導入することで、嫌気性菌の培養が可能になると考えた。そして彼が作ったのが「亀の子シャーレ」だ。これはペトリ皿の身とフタを一体化した円盤状のガラス容器で、さながら頭と尾のようにガスの入り口と出口が付いている。
まずこのシャーレ内に培地を入れ、破傷風患者由来の材料を塗り、内部に水素ガスを導入して酸素を追い出す。そしてガスの出入り口を火で溶融して封じれば、嫌気性である破傷風菌の培養ができるというわけだ。

嫌気性菌培養装置 解説図

資料提供/学校法人北里研究所

北里の嫌気性菌培養装置

亜鉛に希硫酸を反応させると水素が発生する原理を応用した装置。水素はゴム管を経て亀の子シャーレに通される。

破傷風菌の純粋培養で認められた北里そして、すぐさま破傷風治療法の研究へ

学会発表で破傷風菌毒素の可能性に言及

ドイツ外科学会で発表された北里の論文

ドイツ外科学会で発表された北里の論文
(Kitasato S: Zeitschrift für Hygiene, 225-234, 1889)

亀の子シャーレの紹介部分

亀の子シャーレの紹介部分

亀の子シャーレには、破傷風菌が見事に増殖していった。だがこの嫌気性培養装置の欠点を挙げるとすれば、それは、ときどき爆発を起こすことだった。空気を追い出すのに水素ガスを用い、しかもシャーレの口を閉じるのに火炎でガラスを融かすので、ときどき水素に火がついて爆発を起こすのだ。しかし北里はそんなことにはめげず、着実に実験を重ねていった。

1889年の春に開催されたドイツ外科学会で、北里はこの成果を報告した。これを境に、彼は一留学生ではなく、ひとかどの細菌学者として認められる地位を獲得したのだ。しかし彼の関心は、すでに次のステージへと向かっていた。この報告の中で彼は、「破傷風菌を動物に接種したとき、その接種した部位には菌が検出されるのに、他の部位にまで菌が広がることはない。それにもかかわらず、動物が全身症状を示すのは、菌が何らかの化学的毒物を発生しているのかもしれないので、それを目下追求している」と述べている。これが破傷風の血清療法の開発へとつながっていくのである。



関連サイト

Copyright (C) TERUMO CORPORATION, All Rights Reserved.